あの日



(10) 総二郎の発見


アビスであきら、総二郎、類が会ってからさらに数日が過ぎたころ、興信所から詳しい報告が来た。 つくしの母親は夫の死後、社宅を出た。 まだ転勤して1年も経たない時の事故だった。  父親の葬式には参列者は多くなかったとのことだった。 葬儀社を探し当てて判明した事実だったが、身内の参列はつくしの母親と弟だけだった。 後は会社関係の人で、つくしは葬式に現れなかった。 札幌で親しく付き合ったり、相談したりする相手もいなかったつくしの母親には、社宅を出る時に新しい住所を教えるべき友人はいなかった。 運送会社を片っ端から当たり社宅を出た日に引っ越しを引き受けた業者を見つけ、やっと転居先を突き止めた。

つくしの居所については、まず東京のアパートを調べた。 大家が言うには、つくしは7月の末に急に引っ越すことを告げていた。 荷物は身の回りの数点を除いて、全て北海道の社宅に送っていた。 つくしの父親が事故に遭う前のことだ。 8月いっぱいは契約が残っていたので、それまでには全てを引き払う、と大家に約束していた。 その8月末が過ぎてもつくしから連絡がないので、大家は部屋を点検した。 残っていた数点の荷物は大家が預かり、今ではすでに新しい住人が入居しているとのことであった。

類は、母親の居場所が分かっても、直接会って話をするな、と命じていたので、報告書には母親の住所が記されているだけであった。 電話番号は分からないとのことだった。 母親は社宅のある札幌市内のはずれのアパートに居を移し、近所のスーパーでパートをしている。 つましい暮らしをしているようではあるが、夫の生命保険金や交通事故の賠償金などで、当座の暮らしには困っている様子はなかったのが、類にとって唯一の安心できる情報であった。

「牧野、お前は父親の葬式にも出ないで、何してるんだ?」 報告書を手に、類はだだっ広い自室で呟いた。 それから、これまでに判明したことを頭の中で時間を追って整理し始めた。 7月末の天草のパーティーに司は一人で出席した。 8月に入ったころから優紀はつくしと連絡が取れなくなった。 その前に優紀はつくしから司と別れることを知らされていた。 ということは、7月につくしは司と別れることを考え始めていたということだろう。 7月一杯かけてつくしは司との関係を見直して、その月の終わりに結論を出したのだろう。 7月末には会社を辞め、アパートも引き払う手はずを整えた。 荷物を札幌の両親の元に送ったからには、東京を離れて両親のいる札幌で暮らすつもりだったと考えるのが順当だ。 つくしから出した別れの結論だったようだが、その後、会社を辞め、東京からも去る気になったのはなぜか?  司との別れにより、つくしはそれまでと同じような生活を続けることができないと思ったことは確かだ。 そして8月4日の夕方には父親が事故に遭い、夜中に死亡している。 つくしがその連絡を受け札幌に向かったことは容易に想像がつく。 しかし葬式に参列しなかったという事実は何を意味しているのだろうか。 つくしは札幌に行ったのか? それならば、なぜ葬式に出なかったのか? もし行かなかったとすれば、それはなぜか? もしかして、つくしは父親の死を知る前に外国に行ったということはないだろうか? 全く無いとは言えない。 知らされていたとすれば、まずは8月4日、5日の札幌便の乗客名簿を調べることだ。 知らないまま出国している場合も合わせて調べる必要がある。 類は報告書を脇に置いて電話を手に取った。 この調査はあきらに頼まなければならない。 あきらの情報網を使えば、この程度のことを調べるのは簡単だった。

あきらからの回答が翌日の夜にあった。
「さすがだな、あきら。 恩に着るよ」
「お前のためじゃないよ、牧野のためだ」
「そうだけどさ、無理したんじゃないか?」
「大丈夫だ、この程度のことはどうってことないよ」
あきらの情報によれば、つくしは8月5日の6時過ぎの羽田発札幌行きの始発便に搭乗していた。 新千歳空港に確かに到着していた。 外国に行っていないことが分かって、類はひとまず安心した。 しかし、新千歳空港から札幌市内の社宅に向かうまでの間に何があったのか、つくしは社宅には現れなかった。 つくしの行方が分からなくなったのは、正確に言えば新千歳空港着陸後の8月5日午前8時過ぎからだ。 つくしは空港からどこに向かったのだろう?

「それで、どうする積りだ?」
「札幌へ行くよ。 牧野の母親に会う」
「そうか。 それでいつ?」
「身体が空き次第、すぐ」
「何かあったら連絡しろよ。 俺に出来ることは何でもするから、遠慮するな」
「そうするよ。 サンキュー」
類はあきらとの会話が終わると総二郎に電話した。 総二郎とは連絡が取れず、類はメッセージを残しておいた。 その後二人に興信所からの報告書をファックスした。 時計を見るともう午前1時に近かった。 優紀に電話するには遅すぎる。 翌朝に会社から連絡することにして、ベッドに入った。 目を閉じても様々な場面が頭をよぎって眠れなかった。 つくしは司と別れた。 つくしの失踪に司は手を下していない。 それどころか、つくしが行方不明であることを知らないかもしれない。 司に知らせるべきだろうか? それにしても、つくしは今どこにいるのだ? 一人でいるに違いない。 なぜ父親の葬儀に現れなかったのだろう? 空港から社宅までの間に、何か事故に巻き込まれたのか? 当時の北海道の新聞を当たるように興信所に指示しなければ・・・。 とにかくつくしの母親を訪ねる必要があった。 札幌に行く時間をなんとしても作らねばならない。 帰国して間のない類にはやらなければならない仕事が山のようにある。 土日も休まずに新しい部署での仕事に精通しようとしている最中で、そんな時間が取れるのか? 類は休日も返上して仕事をこなしていた。 その中で最低でも2日できれば3日の時間が欲しい。 しかし現状ではどんなに無理をしても1日の余裕もなかった。 先日優紀とあった日が帰国して初めて丸1日オフを取った日曜日だった。 2日も仕事から離れる余裕は今なかった。 興信所の調査員に会い、つくしの母親の話を聞く。 母親は捜索願を出している様子はないが、そういったことも合わせて相談しなければならなくなるだろう。 どう司と別れたことを母親は知っているのだろうか?

翌朝、優紀に電話した。 興信所の報告とあきらから得た情報を教えた。
「それじゃ、つくしの行方は分からないままなんですね? あたし、もっと早く道明寺さんとのことをお話すべきでした。 いくらつくしから口止めされていたと言っても」 優紀が自分を責めていることは、電話口からも伝わって来た。
「優紀ちゃんのせいじゃないから。 牧野の行方は俺たちが何としてでも突きとめるから、心配しないで」
類から優しく言われると余計に悲しくなるのか、優紀のすすり泣く声が暫く続いた。 類は再び自分たちに任せろと言うと電話を切った。 その後すぐに総二郎から電話があった。
「伝言聞いたぞ。 牧野は札幌にいるんだって?」
「札幌かどうかは分かんないけど、8月5日の朝新千歳空港に着いたことは確実だ」
「そうか。 こいつはひとつ札幌に行く必要があるな。 類、お前超多忙みたいだけど、札幌に行って牧野の母親に会う時間は作れるのか?」
「どう考えてもすぐには無理だな。 2週間後の三連休を使えるよう頑張ってみる。 本当は今日すぐにも行きたいところだが」
「俺が行こうか? 丁度札幌で講演会の予定があるんだ。 その翌日は空けられると思う」 総二郎は類からの伝言を聞き、ファックスを読んだ後、自分の札幌でのスケジュールを調べた。 父親と共に出る予定の講演会は週末の土曜日の2時から4時まで。 その後は北海道の西門流関係者との会食。 その翌日は一日オフで、後援者が観光案内をしてくれることになっていた。 それは父親だけに行って貰って、その日をつくしの母親との面会に使える。 その夜のうちに帰京の予定だが、場合によっては月曜の始発便に乗ってもいい。 総二郎はそのことを類に告げた。
「本当か? ありがたい。 それじゃ、まずお前が行って牧野の母親に会ってくれるか?」
自分が行けないことが残念だと思っている場合ではなかった。 1日でも早くつくしの母親に会って話は聞けばかなりのことが分かるだろう。 全然会ったこともない他人の興信所員には話さないことでも、見知った総二郎になら話すだろう。
「総二郎、いつ行ける?」
「今週末の土曜日が講演会の予定だから、金曜の最終便で行くよ。 そしたら、土曜日の午前中と、翌日の日曜日が使える」
「頼む。 牧野の母親に会って詳しい話を聞いてきてくれ。 俺もそのうち何とかするから」

そして総二郎は土曜日の朝、類に教えられた住所につくしの母親を訪ねて行った。 つくしの母親は総二郎を覚えていた。 東京からわざわざ自分に会いに来たことに驚いてはいたが、歓迎してくれた。 総二郎はつくしが就職してからは、つくしの家を訪ねたことがなかったので、母親に会うのは3、4年ぶりだった。 その短い時間の間にめっきり老いてやつれた様子に驚いた。 娘と御曹司の破局、夫の死と続けさまに不幸に見舞われては無理からぬことだろう。 総二郎は突然の訪問を詫びる簡単な挨拶をすると、つくしの父親の交通事故死に対する弔いの言葉を述べた。 部屋に上がると、粗末な祭壇の位牌に線香を上げた後、改めて姿勢を正して母親に慰めの言葉を掛けた。
「はい、慣れない札幌に来て半年足らずの事故でした。 もうあたしはどうしていいやら・・・」
つくしの母親の涙はもう涸れ果ててしまったのか、意外としっかりした口調でそう言った。
さらに母親を気遣う総二郎に答えて、「ええ、もう大丈夫です。 寂しさはありますが一人暮らしにもやっと慣れ始めたところでして。 はい、実はすぐにでも東京に帰ろうと思っていたのですが、ちょっと事情が変わりまして、こちらに残っています。 それでもわざわざこんなところまでお越し頂いて、ありがとうございます」
「いえ、ちょっとこちらに用がありましたので、そのついでと言えばなんですがお悔やみを申し上げたくて。 それで、牧野は、いえ、つくしさんはお葬式に出られなかったとお聞きしましたが」
「ええ、それは・・・」
「つくしさんの居所はお分かりですか? 実は私たち、連絡を取りたいのですが、東京のアパートを引き払ったとお聞きしまして」

類は総二郎から電話があった時は自分のオフィスにいた。 早朝からその日の予定の仕事を始めていた。 総二郎からの電話は講演会が終わる夕方になるものと予想していたので、それまでには仕事は片付いているはずだった。 休日出勤はこの日で終えたかった。 しかし翌日の日曜日には、取引先のフランス人社長が仕事と観光を兼ねて日本を訪れることになっていて、類は社長である父親と共に空港まで社長を迎えに行き、昼食を共にすることを命じられていた。
「早いな総二郎、電話は夕方になると思っていたのに。 どうだった、会えたか牧野のお袋さんには?」 昼前に総二郎から電話があったのが予想外だった。
「おい、分かったぞ。 牧野の居場所が分かった!」
「何だと? 本当か?」
「ああ、牧野には明日会いに行く。 ただしな・・・」









Copyright(C)the Guardian Gods (Feb.16, '10)
inserted by FC2 system