あの日


(18) 類 vs.大輔


類はつくしと付き合いたいと、つくしの母親には最初から言ってあった。 東京にいる時からよくつくしの家には出入りしていたので、母親には何の反対もされなかった。
「それでもね、つくしは花沢さんのことを全く新しく知り合ったお客さんとしか思ってないんですよ。 いいんですか、それで?」
「望むところです。 これまでのいきさつなしに、つくしさんが新しい目で僕を見てくれれば僕はそれでいいと思ってますから」
「でもね、つくしの記憶が戻ったらどうしましょう?」
「その時はその時で、僕のことを前から知ってる花沢類として見てくれるんじゃありませんか?」
「でも、そうなったら・・・」
つくしの母親が言おうとしているのは、司のことだと類には分かっていた。
「大丈夫ですよ、つくしさんと僕は元々親しい友人ですから。 つくしさんの記憶が戻ったら改めて交際を申し込みますよ。 その前にどんなことがあったとしても」
類は何のためらいもなくそう言った。

「花沢さん、つくしのところへ山野さんの息子さんが最近よくお見えになるんですのよ」
「ああ、大輔とかいう人ですね」
「そうです」
「つくしさんに気があるんですか?」
類はそう尋ねたが、ペンションでときたま見る二人の様子が気がかりであったのは事実だった。 あのまま二人が会う時間が長くなれば、恐らく大輔はつくしを好きになるだろう。 いや、もうすでに・・・。
「つくしさんは何か言ってましたか?」
「いいえ、別に。 あの子は大輔さんに対してはお友達以上の気持ちはないと思います。 もしかしたらそういう気持ちにならないよう、自分を抑えているのではないかと。 それは、こう言っては何ですが、花沢さんに対しても同じじゃないでしょうか」
「つくしさんは前の記憶が戻った時のことを考えて、新しく踏み出せないってことですね?」
「ええ。 もし前のことを思い出したら、その時はここでの生活を全て忘れるって言われてるので、あの子は混乱しているんです。 あたしのことを思い出してくれるのは嬉しいんですけど、卓郎さんや弥生さん、それに大輔さんのことは忘れるんですからね。 今こうして来て下さっている花沢さんのことも」
「僕のことはいいんですよ。 今の僕を忘れる代わりに前の僕を思い出してくれるんですから」
「でもね、今のつくしは前の花沢さんを知らないんです。 だから記憶が戻った時に忘れる人たちの一人だと思い込んでいます。 だから花沢さんのお気持ちをつくしが受け入れるのは難しいと思うんです。 今あの子はなるべく誰とも深くは関らないように自分を抑えていますから」
つくしの母親の心配は堂々巡りだった。

類は大輔と会うことにした。 前もって電話をすると、大輔にも思うところがあったのか、二つ返事で受け入れられた。 しかも札幌で会おうと言う。
「今度の週末、ペンションへ行く予定なんですが」
「いいえ、僕が札幌に行きます。 そちらで仕事がありますから、それが終わってからでよければ」
大輔は大輔で、いつか類と会わなければ、会ってはっきりさせておかなけらばならないことがある、と思っていたようだった。 札幌の街にまだ詳しくない類は大輔の指定するバーで会うことになった。

類は早目に大輔に事情を話すつもりだった。 このことを東京で総二郎に言った時は反対されたのだったが。
「わざわざ教えることはねぇよ」
「そうかな?」
「敵に手の内をさらけ出すことになるんだぜ」
「敵か・・・」
「そうだよ、あいつ牧野に気がある」
「単なる隣人じゃないのか」
「バカなこと言うなよ。 牧野のかあちゃんに会った時、その話を聞いて俺ピンと来たぜ」
あの時から総二郎は大輔の存在が気に入らなかった。 直接会ったわけでもないのに最初から大輔の気持ちがつくしに向いていると確信していた。
「それはお前の単なる勘だろ? 男が女に親切にするからって、何でもかんでもそういう風に考えるのはお前の悪い癖だ」
「そうじゃないって。 男と女のことについちゃ、お前より俺が詳しいんだから」
「もしそうだとしたら余計言わなきゃな」
「何でだよ?」
「フェアじゃないだろ?」
「お前なぁ。 どこまで初心なんだ? 欲しいものを手に入れようとしたら、手段なんて言ってられないよ。 そんなんでよくビジネスなんてしてられるな?」
「何をするにしたって、俺はフェアプレーで行くんだよ。 これはうちの家訓だ」
「潰れるぞ、そのうちお前の会社。 よくそんなんでここまでもったな」

総二郎に何と言われようと、類は大輔に本当のことを言うつもりだった。 最初は何も言わずに済めばそれに越したことはないと思っていた。 しかしペンションに通い、つくしに対する気持ちが強くなるにつれ、隠し事をしたままつくしの気持ちを自分に向けることはできないと思った。 少なくとも大輔には言わなければならないと思った。 そう思ったのは、大輔がつくしに好意以上のものを持つ予感があったからか? その点では総二郎と同じ勘が働いたのかも知れない。

「本当のことを言ったって、それで遠慮するわけじゃないから」 類はきっぱりと言った。
「それでも牧野には言わないんだろう?」
「ああ」
「それって、お前の言うフェアプレー精神に反するんじゃねぇか?」
「それは牧野を混乱させないためだよ」
つくしに言うのは却ってフェアじゃないと類は思っていた。 そんなことをすればつくしは類に対してどんな態度を取るだろう? 類に愛情を抱くか? 類を避ける? 今の類はつくしには白紙で自分を見て欲しかった。 つくしの気持ちを自分に向ける自信があった。

ススキノのバーには類が先に着いた。 カウンターに腰をおろして間もなく、大輔が現れた。 大輔も類同様にビジネススーツを着ていた。 これまで二人ともカジュアルな服装でしか会ったことがなかったことを類は思い出した。 一緒に酒を飲むのは初めてだ。 そういえば、二人きりで話すのも初めてだった。
「つくしちゃんのことですね」 類が何も言わないうちに、大輔が先に切り出した。
「そうです」
「それで、僕に何を言いたいんだろう?」 そう言いながら大輔はネクタイを緩めた。
「私は以前から牧野つくしを知っていました」
「そうですか」 大輔が驚かないことに類は驚いた。
「そんなところじゃないかと思っていました。 おかしいですよ、毎週のようにあんな何もないペンションにやって来るのは」
「分かりましたか?」
「ああ。 で、それを言いたかったの、僕に?」
「そうです。 牧野の記憶喪失の原因については詳しいことは分かりません」
「君が原因ではないの?」
「違います。 しかしそれとは関係なく、私はこれから彼女と付き合う積りです」
類の言い方はまるで宣戦布告だ、と大輔は思った。 類は自分のことをライバルだと思っているのか?
「私が前からの知り合いであることは、牧野には言う積りはありません」
「だけど僕には言う」
「そうです」
「なぜ?」
「私の気持ちを知っておいて欲しいからです」
「そうか。 君はつくしちゃんのことが好きなんだ、前から」
「はい」

大輔は考え込んでいた。 類が自分に向かって本当のことを言うからには、自分も本当のことを言わなければならない。 俺の気持ちを知りたくてこんなことを言ってるんだ、と大輔は読んだ。 しかし正直なところ、大輔は自分の気持ちがまだよく分からなかった。 つくしには好意を持っている。 しかしそれを愛情と呼んでいいのか? 刺激の少ないあんな土地で、若い女は多くない。 つくし以外の女は子供の頃からの知り合いばかりだ。 彼女らに対して今さらどうこうという気持ちにはなりそうもない。 その上、今大輔には女のことで揉め事がある。 大学時代からの恋人と別れたかと思っていたら、よりを戻したいと言って来た。 彼女との間には、地理的な距離以上に気持ちの上での隔たりを感じ始めていた。 それはつくしのせいだろうか?

「山野さん?」
類に呼びかけられて大輔は思考を止めた。
「ああ、失礼」
大輔はそう言って類を見た。 類の真剣な視線を受け止めた。 何か言わなければならない。
「僕も正直に言いましょう。 つくしちゃんは好きですよ」
そう言ってから、その自分の気持ちは愛情かも知れない、と突然気が付いた。 今後このままだと、どうなるか分からない。
大輔はついさっき考えていたこととは違うことを言っている自分に驚いた。 つくしをそんな風に見ていたのだろうか? それとも類に気持ちを打ち明けられて初めて自分の気持ちに気付いたのだろうか? 

「私はあなた以上に牧野のことを知っています」
「だから?」
「私は牧野が記憶を取り戻そうが、忘れたままでいようと、牧野を愛することができます。 牧野の全てを見ているわけですから」
そうか、そう言うことか。 俺に対してアドバンテージがあることを言いたいんだな、と大輔は類の意図を知った。
「だから私に関しては、牧野の記憶に断絶はないも同然です。 でもあなたはそうじゃない。 もし牧野が記憶を取り戻したら、あなたのことは忘れてしまいます」
「だから僕がつくしちゃんを愛しても、無駄だと言いたいんだな?」
「そういうことになります」
「君は僕を牽制しているのか? 僕がつくしちゃんを好きになっても無駄だと?」
「あなたは牧野が記憶を取り戻すことを歓迎していますか?」
大輔は何とも言えなかった。 類の言うとおりだ。 つくしが過去を思い出した時、自分のことは忘れるのだ。 たとえ今つくしが自分に好意を持っていても、それはいつか忘れてしまう。
「それで言いたいことは?」 大輔は尋ねずにはいられなかった。
「無駄なことはおよしなさい」

類の自信たっぷりな態度が大輔は気に入らなかった。 冷静に考えれば類の言うとおりだ。 しかし感情と言うものはそんなに論理に沿った動きをするものではない。 類は大輔に、つくしを好きになるな、無駄だ、と言っている。 突然やって来て、つくしを攫って行こうとしている。 自分だけではない。 両親も卓郎も弥生もつくしに好意を持っている。 しかも弥生は妊娠して、つくしを頼りにしている。 そして、自分は・・・。 つくしを類に渡したくない、という気持ちを大輔ははっきりと知った。
「しかし、つくしちゃんが過去を忘れたままだとしたら? 今までも思い出していないのだから」
「それでも僕は構いません。 何の不都合もありません。 あなたはそんな可能性にに賭けるんですか?」
「君はそんな事情を隠してつくしちゃんに近付くのか?」
「牧野を混乱させたくないので」
「しかし、それをつくしちゃんが知ったら? 事実を隠す君に対して不信感を持つんじゃないかな?」
「あなたが黙っていてくれれば、牧野が知ることはないでしょう」
「僕が言うかも知れないじゃないか」
「あなたはそんな人じゃありません」
   









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